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大潮 (駆逐艦)
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大潮 (駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
大潮 (駆逐艦)[おおしお]


大潮(おおしお / おほしほ)は、大日本帝国海軍駆逐艦#第4215号大潮p.2『艦名 大潮(オホシホ)』〕〔#達昭和10年9月p.21『達第百七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十年九月六日 海軍大臣 大角岑生|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 朝潮アサシホ|舞鶴要港工作部ニ於テ建造 驅逐艦 大潮オホシホ』〕〔#庭田、建艦秘話59-61頁『3.特型駆逐艦海風・大潮・霰について』〕。一等駆逐艦朝潮型の2番艦である〔#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』〕。艦名は海上自衛隊の潜水艦「おおしお」に引き継がれた。
== 艦歴 ==

=== 太平洋戦争まで ===
1935年(昭和10年)9月6日、日本海軍は佐世保海軍工廠で建造予定の駆逐艦を「朝潮」、舞鶴要港工作部で建造の駆逐艦を「大潮」と命名した〔〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.209『◎驅逐艦朝潮及大潮命名ノ件 昭和十年九月六日(達一〇七)』〕。同日附で朝潮型駆逐艦が新設される〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年九月六日(内令三四〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦、一等ノ部中白露型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|朝潮型|朝潮、大潮』〕。
本艦は舞鶴海軍工廠1936年(昭和11年)8月5日に起工〔#第4215号大潮p.2『龍骨据付ノ日 昭和十一年八月五日』〕〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『大潮(艦要目略)舞鶴工廠|11-8-5|12-4-19|12-10-31|(兵装略)』〕。
1937年(昭和12年)4月19日に進水〔〔『○進水 驅逐艦大潮四月十九日舞鶴海軍工廠ニ於テ進水セリ』〕。舞鶴要港部司令官中村亀三郎中将は『のどかなる さくらさきそう 春の海に しぶきたてゆく ふなおろし見る』という自作の和歌を記念として贈った〔。
なお朝潮型3番艦「満潮」は同年3月15日に進水しており、本艦は「満潮」より約一ヶ月遅れての進水だった〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『満潮|(艦性能略)|藤永田造船所|10-11-5|12-3-15|12-10-31|(艦兵装略)』〕〔『○進水 驅逐艦満潮昨十五日株式會社藤永田造船所ニ於テ進水セリ』〕。
7月2日、日本海軍は砲艦「鳥羽」艦長や吹雪型駆逐艦「東雲」艦長を歴任していた山代勝守少佐を、大潮艤装員長に任命する〔昭和12年7月2日付 官報第3148号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959631 で閲覧可能。〕。7月5日、舞鶴海軍工廠に大潮艤装員事務所を設置〔『○事務所設置 驅逐艦大潮艤装員事務所ヲ舞鶴海軍工廠内ニ設置シ本月五日ヨリ事務ヲ開始ス』〕。
7月7日、中国大陸で盧溝橋事件が勃発、上海方面に派遣する駆逐艦が必要になったため、艤装工事を急いだ〔。
10月5日、山代艤装員長は正式に大潮初代駆逐艦長となる。本艦は10月31日に竣工〔#日本軍艦集2600年版p.39『一等驅逐艦 山雲(やまぐも) 基準排水量1,500噸、長さ108.55米、幅10.15米、平均吃水2.75米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管8門、起工昭和11年11月4日、進水昭和12年7月24日、竣工昭和13年1月15日、建造所藤永田造船所-満潮と同型。同型艦朝潮は昭和12年8月31日竣工、大潮は同年10月31日竣工。』〕。本艦は速力35.98ノットを記録した〔。同日、藤永田造船所で同型3番艦「満潮」も竣工〔。
朝潮型2隻(大潮、満潮)の竣工にともない、日本海軍は10月31日附で樅型駆逐艦3隻(梨、竹、榧)の第25駆逐隊を、朝潮型姉妹艦3隻(朝潮、大潮、満潮)で再編(駆逐隊司令井原美岐雄大佐)〔#海軍制度沿革(巻4、1939)p.72『昭和一一.一二.一(内令四七一)|佐世保鎮守府|第二十五驅逐隊|梨、竹、榧|朝潮、大潮、満潮(一二.一〇.三一 七六三)|梨、竹、榧(一二.一〇.三一 七六三)』〕。井原大佐は司令駆逐艦を「大潮」に指定した〔『○司令驅逐艦指定 第二十五驅逐隊司令ハ本月一日司令驅逐艦ヲ大潮ニ指定セリ』-『○郵便物發送先 第二十五驅逐隊(大潮、満潮、朝潮)宛 自今 佐世保』〕。「大潮」はほぼ一貫して司令駆逐艦だった。
1937年(昭和12年)11月15日、第三予備艦となり佐世保海軍工廠蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。
1938年(昭和13年)1月8日、朝潮型4番艦「荒潮」が第25駆逐隊に編入され、同隊は定数4隻(朝潮、大潮、満潮、荒潮)を揃える〔#海軍制度沿革(巻4、1939)pp.72-73『昭和一二.一二.一|佐世保鎮守府|第二十五驅逐隊|朝潮、大潮、満潮|荒潮(一三.一.八 一三)』〕。
1月20日、山代中佐は朝潮型8番艦「峯雲」艤装員長へ補職され、大潮駆逐艦長(2代目)には峯風型駆逐艦11番艦「太刀風」駆逐艦長勝見基少佐が任命された。
3月20日附で勝見少佐(大潮艦長)は朝潮型3番艦「満潮」駆逐艦長を兼務することになった。
8月2日附で勝見少佐は白露型駆逐艦1番艦「白露」駆逐艦長へ転任〔勝見基中佐は、1943年(昭和18年)1月15日、陽炎型14番艦「谷風」駆逐艦長としてガダルカナル島輸送作戦従事中に戦死。〕。朝潮型1番艦「朝潮」駆逐艦長脇田喜一郎少佐が、朝潮・大潮駆逐艦長を兼務する〔。
12月15日附で脇田中佐は吹雪型駆逐艦1番艦「吹雪」駆逐艦長へ転任〔脇田喜一郎中佐は、朝潮型5番艦朝雲や陽炎型8番艦雪風艦長を務めたのち、1944年(昭和19年)11月25日に第41駆逐隊司令として秋月型駆逐艦「霜月」沈没時に戦死(少将)。〕。神風型駆逐艦7番艦「疾風」艦長飛田健二郎少佐が本艦駆逐艦長に任命された。
1939年(昭和14年)5月20日、横井(朝潮艦長)は白露型9番艦「江風」駆逐艦長へ転任。同艦は艦長不在となったため、飛田少佐(大潮駆逐艦長)が「朝潮」駆逐艦長も兼務することになった〔。
10月15日附で飛田艦長は白露型駆逐艦7番艦「海風」駆逐艦長へ転出〔飛田健二郎中佐は、太平洋戦争開戦時の陽炎型駆逐艦「雪風」駆逐艦長。〕。同時に「海風」艦長だった渡邉保正少佐が大潮駆逐艦長に任命された〔。また横井(江風艦長)は再び朝潮駆逐艦長に任命された(後任の「江風」駆逐艦長は吉川潔少佐)〔。
同年11月に横須賀鎮守府へ転籍し、第25駆逐隊は第8駆逐隊と改名〔『官房第五五八七號 本月十一月一日驅逐隊編制中改正竝ニ海軍定員令中改正施行ノ際現ニ左記上欄ノ隊ノ職員タル者ハ別ニ辭令ヲ用ヒズシテ各下欄ノ相當職員ニ補セラレタル義ト心得ベシ 昭和十四年十一月一日 海軍大臣』-『(従前ノ隊名)第八驅逐隊|(新隊名)第二十驅逐隊』-『第二十五驅逐隊|第八驅逐隊』-『呉防備隊|佐伯防備隊』〕。それまでの第8駆逐隊は第20駆逐隊(朝霧夕霧天霧狭霧《11月15日編入》)となった〔。
11月15日附で伊集院松治大佐は第8駆逐隊司令に任命される。同時に第二艦隊第二水雷戦隊(司令官五藤存知少将)に編入され、以後中国方面で活動した。引続き、「大潮」は第8駆逐隊司令駆逐艦として行動する事が多かった。
1940年(昭和15年)9月16日附で渡邉中佐は舞鶴海軍工廠で建造中の陽炎型駆逐艦16番艦「」艤装員長(初代艦長)へ補職される〔後日、陽炎型「初風」艦長。1943年(昭和18年)12月18日、第1駆逐隊司令として駆逐艦沼風沈没時に戦死。〕。朝潮型7番艦「夏雲」駆逐艦長塚本守太郎少佐が、夏雲および大潮駆逐艦長を兼務する〔〔塚本中佐は、1942年(昭和17年)10月12日、「夏雲」沈没時に戦死(サボ島沖海戦)。〕。
11月15日附で塚本中佐は任を解かれ、白露型駆逐艦9番艦「江風」駆逐艦長吉川潔中佐が本艦駆逐艦長に任命される。
太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)9月1日、第8駆逐隊司令は森下信衛大佐(軽巡洋艦大井艦長に補職)から阿部俊雄大佐(前職軽巡洋艦五十鈴艦長)に交代した。9月15日、第二水雷戦隊司令官五藤存知少将も第六戦隊(青葉加古衣笠古鷹)司令官へ転任、後任の二水戦司令官には田中頼三少将が任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大潮 (駆逐艦)」の詳細全文を読む



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